脳出血した中高年のための怪談100物語 → 鈴木誠の怪談100物語の タイトルで小説投稿サイト、アルファポリスと同時更新中です。 サイドバーに「アルファポリスリンク」へのリンクがあります。 広告

心の病気のこと

こんにちは。

こうして、はてなブログを日々、書いているのですが、そうすると周囲に心の病気で苦しんでおられる方が、自然にあらわれて、ああ、やっぱりいまの時代は、どこへいっても、みんな悩んでいるんだな、と思います。

では、そもそも、おまえ自身はどうなんだ? と聞かれると、さすがに自分の話はなかなかしにくいのですが、それでも、やはり黙っているのもなんだし、お答えすると、私が精神科のお医者さんへ通院したのは、もう30年以上前の中学生の頃でした。

わかる人も多いと思いますが、当時といまでは、精神病に対する社会全般の対応がだいぶ違いました。

昔、精神病はXちがい、と堂々と言われていたし、家族や周囲の者もケア・看病どころか、関わり合いになりたくない、といった態度で接する人がほとんどでした。

鬱病がポピュラーな病気になって、メンヘラだとか、メンタル弱い系とか、普通の会話で使われるようになったのは、まだここ10年くらいだと思います。

中学生の頃の私は、ある日、しゃべれなくなりました。

引きこもりました。(引きこもりという言葉は当時は使われてませんでした)

言葉の薄っぺらさに我慢できなくて、みんなが、本当は思ってもいないことをぺらぺらしゃべるのが気持ちが悪くて、周囲も社会も信用できなくなったのです。

精神科医の診察を受けると、父親のいない家庭で育った私の場合、父親の不在が精神に非常に影響を及ぼしていると言われました。

しかし、実際のところはそうかもしれませんが、結局、私は、一人でいろんな本を読んで、いろんな文章を書いて、そんな学校へ行かない私でも、付き合ってくれる友達と遊んで、勝手に回復していきました。

世界は嘘ばかりで、誰も言葉の意味なんか真剣に考えずに適当に話しているけれど、それはもう、世界はそういうものだと全肯定して生きてゆくしかない、といつしか割り切りました。

まさに、こまけぇこたぁいいんだよ、の精神です。

そうでなければ、人間は生きていけません。

結局、私は中学3年間で200日以上休んだのですが無事、3年で卒業しました。

地元の普通高校へ進学することもできました。

私の場合、人生なんとかなったのです。

人間、ずうずうしくて図太い方が生きやすいんだな、あの時、感じたこの感想はいまも変わっていません。

繊細に考えすぎていたら、生きて行けなくなります。

当時の私の病名を医師ははっきりと教えてくれませんでした。

あの頃は、精神科の医師が患者に病名を伝えないことが、ままあったのです。

あれから30年が過ぎて、私はまだ生きています。

精神病の知り合いもたくさんできました。

過去に自分がそうだったので、そういう病の人にへんな差別はしていないつもりです。

私が出会った最も症状のひどい精神病患者は幼馴染の友人でした。

専門学校を卒業して、就職した彼は就職先でいじめられるようになり、全寮制の職場では、夜眠れない、と言って、毎晩、2、3時間かけて実家に帰ってくるようになりました。

深夜に家にきては、少しだけ眠り、夜が明ける前に職場へ戻るのです。

「オレは殺される・・・」

「いや、オレが殺してやる!!」

「あいつらはみんなでオレをハメてるんだ・・・」

「ぶっ殺してぇっ!!」

彼の言動は日々、物騒になってゆき、そのうちに会社を辞めて、どこかからくる指令にしたがって、車であちこちを放浪するようになりました。

もちろん、指令など実際はどこからもきていないのです。

彼にだけに聞こえる、幻聴の声を聞いていたのです。

彼はそのうちに出刃包丁等の凶器を持って、失踪して、山中で血まみれになって発見されるようになりました。

自殺を図って、手斧で自分の手首を切り落そうとして死ねず、負傷したまま、山中を徘徊していたのです。

彼は警察に保護され、精神病院に収容されました。

それからは、病院と一般社会の間を行ったりきたりの繰り返しです。

私は、症状がひどくて家にも、病院にもいられなくなった患者さん(友達)と一緒に暮らしたこともあります。

もともと友達だからか、怖くはないのです。

精神病になるとそれが難しいのですが、まずは希望を持って、なにがどうあっても生きることが大事だと思います。

病で苦しんでいる人にとって、これは本当に困難なことだと思いますが、それでも、私は、こう声をかけます。

「生きましょう。地獄にいるのは、あなた1人じゃないですよ」と。

 

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