脳出血した中高年のための怪談100物語 更新中です。 怪談はあなたと私をつなぐ、1話2000字のコミュニケーションツール 広告

神様のはなし

こんにちは。

怪談についてあれこれ書いたら、興味を持って下さった方がいらしたので、せっかくブログを書いている以上、需要があるのはよいことだ、と判断して、おそらく多くの人は、あまり経験していないであろう、話を書こうと思います。

いきなりですが、みなさんは、神様、と聞くとどんなイメージを思い浮かべますか?

全知全能で慈愛に満ちていて、みたいな神々しいものでしょうか。

それとも宗教的なちょっと危ない感じですか。

以前のブログでも書いたように、私は特定の宗教に属してはおりません。

ですので、今日、これから書く神様の話も、信者ではない、興味本位で覗きにきたものが、たまたま経験した不思議な話ぐらいに思っていただければ結構です。

以前、私は職場で、K国系キリスト教の信者の方と知り合いました。

年が同い年だったので、あれこれ話すようになったのです。

彼はいわゆる日系さんでした。

そして彼の夢は、牧師さんになることでした。

彼が所属している教会は、プロテスタントでしたので、教会を収めているのは神父ではなく、牧師さんなのです。

彼は通信教育で牧師の資格をとるために懸命に勉強していました。

実は、私が熱心なキリスト教徒の人と知り合うのは、彼が初めてではありません。

昔、私がいた職場でアルバイトしていた青年は、地域で一番の進学校を進みながら、大学へは行かず、高校卒業後はフリーターをして資金をため、カナダにある、彼の宗派の牧師になるための学校へと進学していきました。

彼は、非常にまじめな人でしたが、だんだんと親しくなると、話が彼がいる宗派の教義の話題ばかりになり、「最終戦争はもう始まってるんですよ。みんな、気づいていないんです」とか、「どれだけ悪魔がはびこっても、最後には神が勝つんです。それは決まってるんです」などと、人前でも大声で口にしてしまうのでした。

職場を辞める時、私には、連絡先の教会のアドレスが書かれたメモと、聖書をプレゼントしてくれました。

個人的にはこの彼に悪い印象は持っていなかったので、在日の彼とも抵抗なくお付き合いしていました。

そして、ある時、彼から、「本さん。入信しなくても、本さんも神様に話しかけるといいよ」と勧められたのです。

「神様は、我々人間に興味を持って下さっています。ですから、我々の方から神様に声をおかけすると、歓迎して耳を傾けてくれるのです。信じてやってみてください」

やり方は、いつどこであろうとも、意識を集中して心の中で、「父と子と聖霊の御名において、神様~」のでだしで、伝えたいことを思うだけでした。

ほんまかいな、と思いましたが、当時の職場は意外と1人でぼんやりと作業している時間も多かったので、私は就業中に、神様へ話しかけるようになったのでした。

もちろん、返事はありません。

ただ、なんとなくこうすると心が落ち着く感じがしたので、ほぼ、毎日、続けていました。

そんなある日、私はいつものように作業中に、神様に語りかけました。

すると、不思議なことに、その日に限って、作業場の周囲の機械と人の声、音がまったく聞こえないのです。

私は不思議な静寂の中で、神様へのメッセージを念じました。

静かな作業場は、まるで時間が止まっているかのようでした。

さらにその時の作業場には、黄金色の光がどこからか差し込んできていました。

私の周囲にはたくさんの人がいたのに、みんな気づかないのか、静かにしています。

と、私は、自分の背後に誰か立っている気配を感じました。

その人は私の背後にいて、私の背に手をのばしているのが、感じられました。

暖かな感じがしました。

私は振り返ろうか迷いました。

そこにいるのがなんなのか、予想がつきません。

「本さん、どうかした?」

私に声をかけてきたのは、隣で作業していた在日の彼でした。

彼は、私に起きた異常には、なにも気づいていませんでした。

ただ私がぼぅ・・・としていたからと、声をかけてくれたのです。

彼の声が聞こえた瞬間に、私の不思議な時間は終了していました。

すべては普段通りになっていました。

私は、彼にいまあったことを話しました。

「おおっ!!本さん、それは素晴らしいよ!だいたい信者になる人は、みんなそういう経験をするんだよ。本さんの背後にいたのは、父と子と精霊の、精霊にあたる存在だよ。父たる神様が本さんのことを気にしてくれたから、精霊が様子を見に来たんだよ」

「ううううん・・・?たしかに、不思議な経験はしたけれど、本当にそうなんだろうか」

「今度、教会にきて、他の人に聞いてごらん?みんなもそういう経験をしてるよ」

我がことのように喜んでくれた在日さんには悪いのですが、私は結局、信者にはなりませんでした。

私としては、キリスト教は、信者のみなさんも素晴らしいとは思うけれども、やはり、信者とそうでない人の間に明確な線を引くところが納得できませんでした。

あの日、私は、たしかに不思議な経験をしました。それに嘘はありません。

あの後、教会で他の信者のみなさんからも、様々な神秘体験を聞きました。

怪談好きな人は、意外と教会には目をむけていない気がしますが、教会でも道場でも、宗教の集会場は、そういった話の宝庫だと思います。

本日は以上です。

*まじめなキリスト教徒のみなさん、当ブログを読まれて気分を害されたら、すみません。私はキリスト教を誹謗中傷するつもりは微塵もございません。

 

 

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