100-27 あの絵
警察官の不祥事というのは、割合よく聞くニュースである。
犯罪者と日常的に関わる立場にいるために、ついそちら側に惹かれてしまう機会が多いのかもしれない。
そもそも、警察のしていることは、国家の権力を背景にした暴力団的行為だとまで言い切るものもいる。
その意見に全面的に賛成はしないが、たしかに事件の現場で誰よりも横暴に振るまっているのが、警察官であることが事実だったりするのは、否定しない。
私もそんな警察官の一員として、ずっと公務に就いてきた。
我々を国家の犬と呼び、鼻持ちならない勘違い野郎だと罵る側の心情も、わからないではない。
定年間近になって私が配属されてきたのは、S県の西部にある某警察署だった。
この地区は田舎ではあるが、治安があまりよくない。
競艇、オートといった施設もあるし、土地柄、昔から漁師も多く、昔ながらの博徒なんかも、いまでもいる。そのうえ、付近の工場では海外から多数の派遣、契約、社員を雇用している。
これで落ち着いた安全な街ができる方が異常だ。
私は、某所に勤めるようなって、市内のパトロール中に、何回も暴力沙汰の現場に遭遇した。
血の気の多い連中が多いのだ。
深夜の飲み屋街で、ナイフでめった刺しにされた惨殺死体が何時間も放置されていたこともある。スネに傷を持つものが多い街なので、誰もが、警察と関わり合いになりたくなくて、なかなか警察に通報しないのだ。
そんなハードな職場のせいか、某署では、これまで何度か、所内での警察官の自殺事件が起きている。
その日まで普通に勤務していた警察官が、所内の一室で、首を吊ったり、拳銃自殺をしたりするのだ。
私が知る限りでは、某所での警官の自殺事件では、一度も遺書は残っていなかった。
残された遺族、同僚たちには悲しみと謎だけが残った。
その日、私は、補導した未成年を保護者に引き渡す仕事をしていた。
もはや定年間際の私のような老兵は、人手の足らない所内では、雑用というか、何でも屋的な使われ方をしている。別に不満はない。
私は、街で暴力事件を起こした彼と、迎えに来る保護者を署のロビーで待っていた。
ロビーには、どこかから寄贈されたのか、夕焼けをバックにした森の絵が飾られていた。
大判の油絵だ。
未成年の彼は、私の隣に座って、黙って絵を眺めていた。
10分、15分。
しばらく経つと彼は、私に尋ねてきた。
「刑事さん。あの絵、ヤバくないですか?」
ヤバいとは、いまの若者の間では、カッコイイとか意味もあるらしい。
私にはその絵のヤバさがわからなかった。
赤い夕焼けと森の木々が描かれているだけだ。
「普通の絵だろ」
「違うんスよ。わかんないですかねぇ。これ、マジ、ヤバイって。
頭、おかしくなりそう」
彼は、そう言うと、両手で頭を抱えて、かきむしるように頭をかきはじめた。
私は、彼のその仕草から、違法薬物の中毒症状を連想した。
側にいた若手の警官に声をかけ、薬物犯罪の係の者を呼んでもらう。
「ちょっと待ってくださいよ。
オレはなんにもおかしくないって。
おい!
離せよ!!
爺さん、わかんないかなぁ。
おい!
やめろよ!!
オレは、正常だ!!ジジイ、俺を開放しろ!!」
近付いてきた警官たちを振り払うように手足を動かし、彼は叫んだ。
ちょうど、その時、彼の保護者が署についた。
30代後半くらいの男性だ。父親だろうか?
たしかに容姿が似ている気がする。
「おい。〇〇おとなしくしろ」
暴れる未成年者に、父親が声をかけた。
すると、未成年者は、振り向きざま、父親の顔面に拳を打ち込んだ。
スピードの乗ったパンチに、父親が大きくのけぞる。
父親の鼻から、鮮血が床にこぼれた。
未成年は、さらに父親に追撃しようと迫る。
警官たちが二人の間に止めに入った。
そこにいても足手まといになるだけの私は、二人から少し離れ、様子を眺めていた。
さっきまで静かにしていた未成年者が急に暴れだすほど、親子関係がうまくいってないんだろうか。
二人は引き離され、未成年は再び、取り調べを受けることになった。
父親(やはりそうだったらしい)は、べつに息子を訴えるつもりはないが、傷は意外に深く、いつまでも血が止まらないため、医務室で横になることになった。
未成年は、若い刑事に連れられて、再び、取調室へ。
取り調べをする刑事が、その前に私に聞きにきた。
「なんであいつ、急に父親に殴りかかったんですか?
なんか言ってましたか?」
「いや。父親のことはなにも。
ただ、そこの絵がどうとか言ってたな」
私に言われて、刑事も立ち度って絵を見ていたが、すぐに取り調べに行ってしまった。
数分後、また暴力沙汰が起こった。
今度は取調室でだ。
刑事が、さっきの未成年をパイプ椅子でめった打ちして殴りつけ、重症を負わせたらしい。側にいた他の刑事が止める隙もないほどのスピードだったらしい。
私は気になって、未成年を負傷させた刑事の尋問に付き合わせてもらった。
彼は、未成年の取り調べ前に、私に話しかけてきた刑事だった。
取り調べを受けた彼は、犯行の動機についてこたえた。
「ただ、あの絵が・・・・・・」
取り調べの刑事たちは、みなわけがわからない様子だ。
私は、自分があの絵のヤバさが理解できない人間でよかった、と思った。
その後、あの絵は某署のロビーから取り外されたと聞いている。
END
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27話めは以上です。
この100物語は、私が聞いたり、体験してきた怪談と創作のミックスみたいな感じです。
僕が住んでいる土地の警察署では、実際に警官の拳銃自殺がありました。
しかもその人物は、僕の親戚の家の近所に住んでいた地元の青年でした。
自殺の原因は謎のままです。
これまでのブログ同様、ご意見、ご感想、お待ちしてます。